たとえば、彼女の肩で眠ること




がくん。頭が揺れる姿をバゼットは唯淡々と見つめていた。
がくん。もう一度頭が揺れる。頭の重みのせいだろうか、体のバランスが保てないのだろう。
どこか不安定で、ふらふらしている。
もう一度、がくん、と揺れると彼の頭は彼女の予想である「前」に反して「横」……すなわち、バゼットの肩に綺麗に収まった。


電車の揺れのせいだろう。自然と定期的なリズムになると人間は眠くなるという。
……けれど、サーヴァントにはそういったものが関係しないはずではなかったのだろうかと僅かながらにバゼットは違和感を感じるが、肩越しに眠る青髪の男は起きる素振り等無い。

がたん、ごとん。電車は淡々と揺れ続ける。
持っていた本を閉じて車内を見渡すと、彼女は溜息をついた。
どこからどう見ても、自分たち――主にこの青髪にアロハシャツの男は浮いていた。
ちらちらと興味深そうに視線を送る女子高生たちの視線は自分の横の青男に注がれており、まるで動物園のパンダかなにかのようだ。
……彼を、アイルランドの光の御子、クー・フーリンであると知っている人間は少ない。
少なからず聖杯戦争の参加者ではない一般人からすれば「唯の少しヤバげな兄ちゃん」程度の外見なものだからとてもではないが英雄とは思えないだろう。
バゼットの肩に見事に寄りかかって、口を半開きにするクー・フーリン等誰が想像できただろうか。
……そこまで考えて、バゼットはもう一度ため息を零した。

結局、なすがままにさせているのは彼女自身でもあるので、仕方がない。

彼女は膝の上に置かれた本の文字を指先でなぞりながら右手で己の髪をかきあげようと耳に手をかけた。
……だが、その手は耳に触れることはなく、耳についている飾りに僅かにだけ触れて彼女の手は髪を掛けるのではなく、耳飾りを触れるだけで終わる。


「……ランサー」


一度揺すっても、叩いてもランサーはその目を開くことはなかった。
その長く束ねられた髪がバゼットの胸元あたりを擽り、思わず身体が跳ねた。
……彼女が本気を出せばたたき起こすことも、押しのけることも出来るのだが、彼女は何度か彼の肩を叩き、彼の名を努めて優しく呼びかけることしかしない。


がたん。ごとん。お揃いのつり革と同じように、彼らの耳飾りが揺れる。
電車が揺れる度に同じように僅かに揺れる耳飾りはこの世には一つしかないものだ。
ルーンの刻まれた耳飾りを手出少しだけいじると、彼女は肩によりかかり眠るランサーの肩を軽く叩いた。

限界している今ならば前述した「この世に一つしか無い」という言葉は嘘になる。
彼女と、そして彼の耳につけられて、静かに同じように揺れているのだから「一つ」では可笑しい。
同じものなのだから結局は一つなのだが、第三者からすればきっと「揃いのもの」に見えるのだろう。

そうなった時、彼らの関係がどのようなものであるかは、いくら朴念仁と称されるバゼット出会っても流石に分かる。
友人、兄妹、家族。どれでもない。主従なんて一般人に言ってみたところで彼らは解せないのは目に見えている。
そして何より、バゼットにとって見れば彼は「従者」であるのと同時に「英雄」である。
彼に対する愛というものは羨望でもあり親愛でもあり、敬愛でもある。それだけかと言われれば、返答は出来ない。

「……」

だが、男として見ているかという質問に対して、彼女はきっと「イエス」と答えるだろう。何故ならば今こうして、肩に触れられるだけで顔が近いだけで、予想外に顔に血が上って、今にも沸騰しそうなのだから。

「起きて下さい、ランサー」
「ンだよ……まだ駅は先だろうが」
「人を枕か柱のように扱わないで下さい、重たいですから」
「……おー」

薄ぼんやりと好い加減バゼットの言葉が煩わしくなったランサーは片目だけ上げて、曖昧に返事を一つ。
けれどすぐに目を閉ざし、彼女の肩に再び凭れ掛かって静かな寝息を立てる。
ここで前述したように、彼女が本気を出して殴ればきっと彼は起きるであろうが、珍しくバゼットはその手を拳に変えることはしなかった。
サーヴァントは夢を見ない。けれどバゼットには、固く閉ざしたランサーの表情が夢を見ているようにも見えた。
そっと寄りかかられた髪を梳いて、やがて彼女は諦めたように手を放す。
ひだまりの中、がたん、ごとんと音を鳴らし動く電車に彼女も瞳を閉ざした。




彼がゆっくり目を開いたのは、それから少したってからのことである。
窓から見える景色は相変わらずの電線。場所を移動しているのか否かすら分からない風景。
変わっていたことといえば陽だまりが夕焼けに変わり、オレンジの日が彼らを照らし、空を染め上げていたことだ。

ランサーとは異なり、首をまっすぐ前へ下げる彼女から身体を離し、周囲を見渡すと人の気配を全く感じない。
少なからず彼と彼女の車両には誰一人として人はいなかった。ごとん、と電車が揺れる音だけが妙にこだまする。
首を傾げながらも、変な体制で座っていたのだろう、妙な癖が出来ている首を回しながら一度座り直す。

……すると、彼の2つ隣。要するにバゼットのもう片方の隣にはいつの間にか、パーカーを着た少年が座っていた。
バゼットに隠れてはいるが、彼女の隣でぶらぶらと足を行き来させてじっとこちらを見据えている。
バゼットではない。彼、クー・フーリンをだ。
彼は人ならざる者であることを瞬時にクー・フーリン……ランサーは把握し、静かに臨戦態勢を取ろうとした。


がたん、ごとん、と変わらず電車が揺れて音を鳴らす。

ぴん、と張り詰めている空気に対して、少年はバゼット越しに変わらず興味深そうにランサーを見つめている。
……やがて、彼は不意に視線を逸らした。
立ち上がったので遂に来るかと戦闘態勢に入ろうとしたが、その少年はランサーに今度は全く見向きもせず、バゼットの前に来ると彼女の目にかかった前髪をくしゃりと撫でた。
義手になったその手を惜しむように見つめて、ランサーに視線をやると、白い歯を浮かべて彼は笑う。
この笑い方に彼はデジャヴを感じ口を開こうとするが、見事にそれは遮られる。
彼の唇は確かに動き、何かを喋るが、電車の音にかき消されてランサーの耳には届かない。

少年はバゼットの義手となったその手をしばらく見つめていたが手をゆっくりと離し、彼女の頬をするり、と触れる。
“マスター”と、今たしかに彼の唇は彼女に対して言い、そしてはにかんだ。

……夕焼けが、妙に強くなった感覚を得てランサーの身体は不意に引っ張られる。
彼はバゼットの名を呼んだが、彼女の鳶色の瞳は閉ざされており、彼女の前に居たパーカー姿の少年はランサーを見やると、物珍しそうな顔をしたが直ぐに楽しそうに笑う。

あの野郎。
そう呟くよりも前に、彼の身体はまるで急ブレーキがかかったかのように大きく揺れた。



「起きましたか」

彼女の単調な言葉が耳に届く。
睫毛がぶつかりそうな程、随分近くに彼女の顔があったがバゼットは特別意識はしていないようで、じいと彼を見つめてきている。
何度か瞬きをすると車掌が次の駅の名を朗々と語っているところだ。日差しは相変わらず暖かい。
夢のような、幻覚のような錯覚にランサーは己の額を抑えて溜息をひとつついた。
サーヴァントは夢を見ない。見るとするならばそれは主たる魔術師のものだ。
……けれど、夢の中でまで彼女が眠っているとは思い難い。何よりもバゼットとランサーは現時点で主従ではない。

「なあ」
「はい?」

がたん、ごとん。変わらずに電車は揺れ続ける。
もう一度、彼は彼女の肩に頭を乗せた。小さく彼女が声を上げたが、ぐりぐりと頭を押し付けて有無を言わせない。
あの少年が自分に向けた目だけが鮮明に残像として残っているものの、彼はそれを彼女に言おうとは思わなかった。
夢は夢だ。サーヴァントが夢を見ないとしても、彼女の中にそれが望んでいることとしてなかったとしても、なにか理由があるから夢をみる。
あのオレンジの光が差し込む揺れる電車の中で見た『自分ではない彼女のサーヴァント』に柄にもなくムッとするなんて、彼の口からは到底言えるわけもなく。
ごつりと彼女の肩に額を乗せれば、彼女はくすぐったそうにしながらも人目を気にしてか「ランサー!」と彼の背中をぺしぺしと叩いた。


「離れなさい、ランサー!寝ぼけてるんですか、次で降りますよ!」
「へーへー……」

名残惜しくも離れれば、朱に染まった彼女の頬が妙に印象的であったがつつけばまた怒られそうなので彼は口を閉ざした。
彼女が耳に髪の毛をかきあげる都度、ゆらゆらと耳飾りが揺れる。

(悪いが、やれんぞ)

誰に言うわけでもなく、ランサーは心のなかで独りごちると、彼女の頭を子供に撫でるようにわしわしと撫でた。


2012.05.24【Title:確かに恋だった

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