砂時計は止まらない


さらさらと零れ落ちる砂時計を見ながら、ゆきはその砂時計をぎゅうと握りしめた。
命を削る砂時計。刻限を知らせるもので、その削られ具合は日に日に増していくばかりだ。けれども、やめることは出来ず、情報を集めなければならない。この世界と、自分たちの世界を行き来すればするほどに、疲弊はどんどんと強くなり神子としての責務を全うしなければと焦れば焦るほど、気持ちは空回りする。

違う。ほしい情報は、これじゃない。

必死になって探しても、結局砂丘の中に落ちた真珠を探すほどに困難で、時折途方に暮れてしまう。
世界を救いたい。やれることがあるならやりたい。けれども、それは、本当に出来るのか分からない。

どうしようもない不安に偶に押しつぶされそうになって、ゆきは小さく縮こまった。こんな姿を誰にも見せたくはないし、相手に不安を与えてしまうわけにもいかない。自分は神子で、彼らは八葉で、神子が彼らを導いていかなければならないのだから。

声が、足が、それでも震えて仕方がない。
宵闇の帳がおちても、それでも尚、彼女は眠りにつけることはなかった。

ゆっくりと起きだし、重たい体をずるずると引っ張っていけば、ゆらりと揺れる光に気がつく。いつも見ている蓮の花だ。静かに、穏やかに散っていく自分の命。

「……神子殿はよほど此処が好きなんだね」

そこにはすでに人がいて、見慣れた人影にゆきはほうと息をついた。
今一番会いたくて、今一番会いたくない人だ。

「……神子殿?」
「は、い」

うまく、言葉が出てこない。震える声を、どうにか震わないようにしているのに、どうやっても心は如実に現れてしまって、ゆきは耳を塞ぎたくなる。目の前にいる人間――リンドウには、特にこんな姿を見せたくはないのに。
彼は暫くゆきを見ていたものの、彼女の反応にただ静かに「そう」と言うだけに留めた。彼女は溜息をゆっくりとつき、どうにか平静を取り戻しながら蓮の花をじいと見つめる。
静かに、砂時計と同じように花が空に還っていく。
美しくも儚く手を伸ばそうと思えば、それはリンドウに阻められてしまった。

「あまり一人でふらふら出歩くことは賛成しないんだけどな」
「すみません」
「……眠れない?」

彼に問いに彼女は躊躇いがちに頷いた。
何故眠れないのか、彼は聞かないでくれたのは優しさだろうか。普段ならば間違いなく「神子なんてやめてしまえ」と言い出すのに。震える瞼を何度か瞬きで隠し、リンドウさんは、と尋ねると彼は「仕事だよ」とさらりと返した。
静寂が彼らを包み込むように、唯時間が過ぎていく。
息をすることすら忘れて、ゆきは花を見つめていた。

「……神子殿は、眠れない時どうしてるの?」
「えっ……そう、ですね、羊を数えるようにしてます」
「羊?」

なんでまた、羊。
聞き返したリンドウにゆきは羊は英語でSheepで眠る、という英語がsleepだからじゃないでしょうか、と曖昧な返事を返す。実際にこの問題がどうして羊なのか、なんてことをゆきは勿論しらないし、想像上羊は柔らかいから、彼らに囲まれているということを想像すればなんとなしに眠れる気がするのだろう。

「羊が一匹、羊が二匹、って、ただずっと増やして行って、気づいたら寝ちゃうんです」
「ああ、たしかに退屈な作業のようだしね」

それはたしかに眠れそうだ。
リンドウの言い方に彼女は頷き返したがどうも羊を数える気分にすら無い。
けれど花を見つめているわけにもいかないので、ゆったりと立ち上がりリンドウに寝ることを告げようとした……のだが。その手を捕まれ、そのままふわりと上着をかけられる。

「えっ」
「少し、試してみたくなったから神子殿にはお手伝いをお願いしたいんだけど、いいね?」
「あのっ、リンドウさん?」

彼は人の話を聞くわけでもなく、早々に羊が一匹、羊が二匹、と唱え始める。
ゆきは直ぐに彼の調査に協力するようにと目を閉じた……のだが。

「羊が三匹……神子殿、神子やめる気はないの?」
「ないです」
「あ、そ」

時折彼が思い出したように神子をやめてしまえ、というので、それに起こされる。
羊が四匹、羊が五匹。

「羊が六匹。……まだ寝れない?神子やめちゃいなよ」
「……やめません」

何度もそのやり取りを繰り返していくうちに、ゆきの中で溜め込んでいた責務の重さがじわりじわりと軽くなっていく。不思議なことに、眠気もまして。
考えないように目を背けるよりも淡々と、それでいて確かに気持ち自体は変わらないのだから不思議だ。
リンドウの声が遠くなり、やがて、彼女の瞼がぴたり、と閉ざされた。

「……七十三匹。……神子なんてこと、やっても無意味だと……ああ、寝れたのか」

神子が眠りについても尚、ふわり、ふわりと蓮の花が舞う。
リンドウはそれに一瞥くれながら、直ぐに戻し、ゆきの体を持ち上げた。
流石にここに置いていけば八葉や黒龍の神子が許さないであろう。仕方なしに連れていけば、思った以上に神子は軽い。


「……本当に、神子なんてやめてしまえばいいのに」


改めてそう思うのに、絶対に彼女は首を縦に振る事はないだろうし、神子をやめると言い出したなら自分はどう思うのか、とそこまで想像してリンドウは苦笑いを落とした。
そんなこと、興味も関心もないはずなのに。
それでもやはり、考えずには居られない。

神子をやめないと言い張る彼女が、神子をやめるといった時の姿を。

静かに、砂はさらさらと落ちていく。神子の命を削って花が舞い続けている。
時間は、もうそれほどはないようだ。


【もうすぐ別れを告げる恋 / title:恋したくなるお題

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